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30年前の南海軌道線

30年も経つと普通の写真が貴重になる。
先日来同じアルバムの写真を紹介し続けているが
久々に関西編。

205
南海平野線のモ205形。(1978年2月頃)

堺市内のLRT構想が動き出し、その様相が変わりそうな
阪堺電気軌道。写真はまだ南海の軌道線であった頃。
平野線は地下鉄谷町線延伸により1980年に廃線となった。
205形はかつての南海電車の雰囲気を残した車両で
深い緑色の車体にニス塗りの窓枠、南海らしいナンバー
の書体がよく似合っている。

ダンナ、平野線に乗ったのは
これが最初で最後ではなかったか。

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コメント

出ました!やはりというか、関西編。

南海旧平野線、専用軌道がけっこうあったり民家の軒先をかすめて走ったりと、都電荒川線みたいな雰囲気でした。

平野駅は立派な造りで、点灯式行先表示があったり、改札口の間口も広かったです。

某国放送団体の志村喬主演、大阪ミナミ舞台のドラマでも登場しました。

投稿: アルプス銀水タクシー | 2008年2月19日 (火) 00時27分

重厚な外観の車両ですねぇ
この頃の車両にはよく、室内灯の台座や手摺りの付け根などに装飾が施されていました
細かいところまで、手を抜かずにしっかりと造られていた時代が懐かしいです

投稿: 二枚橋 | 2008年2月19日 (火) 01時04分

アルプスさま>
でも全然覚えてないんですよ~平野線。モ205の牙城だったはずなんですが・・・。次は天王寺支線でも出しますか。

二枚橋さま>
大阪は市電も含めて重厚なデザイン、京都は何か繊細な感じ、神戸はスマートと3都市ではっきりと違う個性がありましたよね。バスはみんなエルガ&西工化が進んでいますが・・・。
車両も今と違って職人の技が光る出来が良いと思います。スポット溶接の数を減らしてコストダウンがどうとか言っている現在とは根本から思想が違います。この車両にしても別段どうといういうデザインじゃないですけどね~。塗装の力を借りなくても個性が発揮されている良い例だと思います。ここら辺の話、また書きたいと思います。

投稿: いぶきダンナ | 2008年2月19日 (火) 13時11分

三都物語の路面電車が終結いや集結している広電。その違いがよ~く分かります(笑)
南海のは大阪市電に何かプラスアルファした感じですね。いい意味で。

投稿: シンコー | 2008年2月20日 (水) 00時49分

 流石に30年前はありませんが1984年頃に撮影のものがあるので、発掘出来たらブログに載せますよ。
 今は、阪急電車の古いのをスキャナーで取り入れてる最中ですよ。

投稿: こういち | 2008年2月20日 (水) 02時29分

シンコーさま>
「終結」ウケてしまいました。さすがに3社とも乗り比べるとよく分かるでしょうね。私が昔バイトでやっていた駐車場の入換え作業みたいなものでしょうから・・・。南海に大阪市電の中古がいましたが、完全に溶け込んでいました。やはり同じ土壌だからでしょうか。京都からの中古は違和感が最後まで消えなかったと思います。

こういちさま>
1984年ごろは私はバスを熱心に撮っていました。阪急電車、期待しております。

投稿: いぶきダンナ | 2008年2月20日 (水) 18時34分

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