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トヨタ・マークⅡ X80系

突然再開した「タクシー的分類」。勢いで80系マークⅡも分類してしまう。現在タクシーの決定版であるコンフォート/クラウン・コンフォートのベースとなった80系マークⅡも製造中止後15年。不景気のため4~5年程度で代替できない事業者も増えていると思われるが、さすがに15年使うのは個人タクシーにあるかどうかで、走る姿を見ることも極めて稀になった。自家用としてはハードトップでそれも「白のグランデ」っちゅうのが「ニッポンの中流」の象徴であり、「課長サンになったら乗る!」なんていう時代もあったことが偲ばれる。そういうの、80系が最後だったか、いや90系まで引きずったか、100系の頃はもう消えていたな、とか・・・。マークⅡとは、そういう感慨に浸れるクルマでもある。タクシーは違うが。

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マークⅡ YX80前期型GL。1988年に登場した80系は自家用でハードトップの印象が強いが、小型車では主流であったコロナに代わって地方都市のタクシーに浸透、大型化とグレードアップに貢献した。
(青森 珍田タクシー 青森駅前)

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同じく前期型。グレードはGLしかなかったように思う。写真はオプションのボディ同色バンパー装着車。
(島根 タニモトハイヤー 出雲市駅前)

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1990年にマイナーチェンジ。後期型となる。前期型とはフロントグリルのデザインが異なり、後期型は中央の縦1本が太くなって「鼻筋が通った」感じになっているのが特徴。1992年以降ハードトップは90系に移行するが、セダンは80系のまま残り、そのまま最終型となる。後期型と最終型は前から見た場合の判別はできない。
(※写真は最終型。香川 サンタクシー 多度津駅前)

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後期型or最終型。低グレードの黒バンパーは前期・後期・最終の区別はないが、さすがに自家用と共用のボディ同色バンパーはマイナーチェンジでデザインが変わった。写真の個体は窓周りが黒いが、タクシーでこのような仕様に出来たのか、まさかと思うが自家用仕様のガソリン車?再登録車だし・・・。
(福井 日ノ出タクシー 福井駅前)

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最終型。ボディ同色バンパーを装着するが、バンパーそのものは黒。仕様として知られていないのか販売店が売らなかったのか、こういった個体が全く存在しない地域もある。
(福岡 西ビルタクシー 福岡市内)

続いてリア部を。

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こちら前期型のリア部。上下2段に分かれたシンプルで平面的なデザインのテールランプが特徴。
(広島 東洋交通 尾道駅前)

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こちらが後期型。レンズがふっくらした感じになりウインカー部が下1/3になるなど「ありがちな変更」が加えられる。ちなみにハードトップは好評だったためかバックランプが端から中央に移った程度でイメージに大きな変更は無かった。
(青森 南部縦貫鉄道タクシー 七戸駅前)

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そして最終型。ハードトップが90系にモデルチェンジした1992年以降のモデル。元々GLしかなかったグレード名エンブレムが無くなり、キーホールにトヨタマーク(いわゆる「牛マーク」)のカバーが付いている。これにより「TOYOTA」の文字エンブレムも無くなった。
(東京 日立交通 東京都内)

80系モデル末期にはグランデと外見が同じような「GRサルーン」とかいうのが大量に湧いた時期があった。いや、タクシーモデルには関係ない話であるが・・・。

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文化住宅

関西の街並みを再現するのに欠かせない「文化住宅」。
関東では単に「アパート」と呼ばれ、”文化住宅”は別のものを指すのだが、関西で「文化住宅」と言えば・・・、

Bunka02
↑こんなん

である。ダンナ、運転会か何かで線路際に建てたい建築模型の一つとして、実は前々から目ぼしい物件を撮影して回っている。最初は資料収集のつもりだったが、撮っているうちに妙に愛着が湧くもので、最近は”懐かしい昭和の風景”みたいな路上観察気分になっているのも事実である。

Bunka01

だが、こうした文化住宅は老朽化のため近年は姿を消しつつある。阪神大震災でも相当数が倒壊したし、下写真の何とも自然な感じに歪んだ魅力的な物件も先日解体された。

そして、昨日。
畑の中に2棟連続して建っていた文化住宅が火事で2棟とも全焼。現場の横を通りかかって無残に焼け落ちた状況に言葉もなく・・・。撮影済み物件ではあるのだが・・・。さすがに今回写真掲載は省略させていただきたく。

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Y31後期型2nd/現行モデル

このシリーズ。前回が2008.9.22なので、なんと2年近く間が空いている。最近の読者の方には「知らない」という向きもあると思われる(そもそも「最近の読者」という方がいらっしゃるのかどうか定かではないが・・・)ので、とりあえず前の記事を。

Y31前期型オリジナル
Y31前期型上級グレード
Y31後期型1stモデル

と、思い出していただいたところで・・・。
グロリア営業車がすでに生産中止されて久しく、街で見る機会はほとんど失われつつあるため「早く撮らねば」と焦っていた昨今であるが、気が付けば「Y31いや日産のタクシーがかなり減少している。」という事実を突き付けられた。各地のタクシーのりばはコンフォート一色となり、統一美はあるが多様性という観点ではモノトーンの風景になりつつある。かつてブルーバードやコロナ、カペラ、カスタムキャブといったタクシー専用の「変なクルマ」があふれていた頃が懐かしい。「はたらく車」が趣味の観点でマイナーなものであることは理解している。ただ、バスもトラックもタクシーも・・・、こうも急激に車種の統一が進むのが自動車業界、または日本の自動車文化にとって良いことなのか、今一度考え直してみる必要はないのだろうか。もちろん、生き残るための”苦渋の選択”であることは十分理解しているが・・・。

本題に戻ろう。

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セドリックY31後期型2ndオリジナル
(横浜 京浜交通)

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グロリアY31後期型2ndオリジナル
(加古川 加古川交通)

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セドリックY31後期型2ndカスタム ボディ同色バンパー
(明石 明石タクシー)

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グロリアY31後期型2ndカスタム
(高松 コトデンタクシー)

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セドリックY31後期型2ndブロアム
(高松 個人)

前期型との相違点はフロントグリルの意匠のみ。上級グレードがメッキになっているのもお約束。前期型同様セド/グロで上級グレードのみグリルのデザインが変えてある(基本同じデザインなのだが、グロリアは伝統の十字模様部分のみメッキ。写真では判りにくいが・・・)。5枚目の写真は3ナンバー仕様で、前期型と異なりグリルがライトと離れたようなデザイン処理となり、バンパーも”いかつく”なった。自家用やパトカー仕様もこれと同じ顔をしているため「パトカー特有の顔」は失われ、覆面パトカーの判別が難しくなった。(もっとも昔と違ってこの手のセダンで自家用のものはほとんどないが・・・。)

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セドリックY31後期型2ndカスタム
(神戸 神戸タクシー)

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グロリアY31後期型2ndオリジナル
(高知 ヤナセハイヤー)

リアはこれまたお約束のテールレンズ意匠変更。前期型の直線的なデザインに対し、ナンバー上部が盛り上がるなど全体に立体的な印象となった。テールレンズ周囲が上級グレードがメッキ仕上げなのは、これも当然お約束。セド/グロの相違はセドがウインカー部分が白っぽいレンズとなっているのに対し、グロはオレンジ色。

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セドリックY31後期型現行 カスタム
(高松 ことでんタクシー)

最後に現行セドリックの写真を。2005年以降、上級グレードは側面ウインカーが前フェンダー後部に移り、前面ウインカーと共にクリアレンズとなった。これより前、1999年にグロリアが廃止されているため、当然このタイプはセドリックしか存在しない。

そもそも、このタイプのグロリアの画像が極めて少ないため、ダンナ最近タクシーのりばで探し回っているのだが、以前グロリアを持っていた事業者も生産中止後11年も経てば写真のことでんタクシーのようにセドリックに変わってきており、おまけにクラコンの勢力拡大もあってY31自体撮影しなければならない対象になりつつある。

やれやれ、ちと遅かったか・・・。

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汎用品

お話の続き。三菱コルト(初代のね!)のテールレンズが交通科学館保存の国鉄ハイウェイバスと同じというご指摘。写真を探したが、現在は後ろがうまく撮れない位置に鎮座していて撮っていなかった。以前はよく見えたので、はっきり覚えてはいる。まあ、ああいうのは汎用品なので別の写真でもよかろう、と。

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コトデンバス 三菱ふそうMR470(呉羽)1973年式

要するにこれと同じなのだろう、と。

ただ・・・、

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コトデンバス 三菱ふそうMR470(呉羽)1974年式

あくまでコトデンバスの場合だが、1973年式の最後くらい(多分前のおでこがひさしに変わってから)より以後は、同じカタチなのだがちょっと小ぶりなテールレンズに変更されている。断言できないが、コルトの写真を見る限り上写真の大きい方かな、と。ただしかし、これが国鉄ハイウェイバスと同じだというのも断言できないんだな、これが・・・。

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コルト1000

先日デボネアのヘッドライトベゼルのお話をしたのだが、inomanoさまより「コルト1100のテールレンズとバス(交通科学館にある富士のB9)のテールレンズが同じ」というご指摘をいただいた。「コルトのテールランプ、確かコルト800の後部が写った広告か何かがあったはず・・・」と捜していたところ、コルト1000の広告が発見された。前部写真だけなのでテールレンズ比較はできないのだが、これをバスネタをくっつけるのも強引なので、今回はコルトだけ。

Colt1000_2
「週刊朝日」1965.4.30号裏表紙。

近所に三菱の社宅がたくさんあり、その駐車場は三菱一色だったので、コルトギャランなどもうあらゆるバリエーションがあったものだが、このコルト1000はダンナ気付くのが遅かったのか三菱社宅駐車場で見た記憶はない。全然見たことがないのかというと、そうではなくて、自宅より少し西に行ったところにあったクリーニング店が持っていて、ダンナにとって「コルト1000」とはそこのクルマのことだった。

もう1枚。

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「週刊朝日」1965.10.22号裏表紙

写真は違うが、ここで紹介しておかないと次に出す機会がないと思われるので。
ちなみに「コルト」は現在も存在するが、どちらかというと現在のコルトはイメージ的に「ミラージュ」なのかな~と思ったり。でも海外ではずっと「コルト」名だったとか。ダンナは「ギャラン」の先祖(コルトギャラン)につながるものと思っていたが、本当はコロナとコロナマークⅡみたいなもので、関係はないらしい。コルト→コルトギャラン→ギャランと解釈するのか、コルト(一旦消滅)→ミラージュ(海外名コルト)→コルト(現在の)と解釈するのか、議論が待たれる(?)。

さてさて、この「週刊朝日」裏表紙。その裏面はどうなっているのか、という疑問。

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こちらはサンヨーステレオの広告でした。

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CU-71Sクーラーを量産する。

少々歩みがのろいが、山陽電鉄5000系用CU-71Sクーラーの製作。

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先日試作したものを改良して「量産型」展開図とする。あとはクラフトロボが作業。当然ながら失敗を考慮して部品は多めに。

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先日の試作品(左上)、量産先行試作品(試作品の下)、量産型の部品・・・。さながら「いぶき工房」はクーラー工場と化しております。

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続々と組み立てが進むクーラーキセ。

(つづく・・・)

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ふとした疑問

いやいや、たいしたことではないのだが、以前から疑問に思っていたこと。どうでも良いことだけに今まで調べもしなかったこと。それは・・・、

三菱デボネアのヘッドライトベゼルと、三菱ふそうのバスに付いているヘッドライトベゼルは同じものではないか?

というもの。

で、ようやくデボネアのほうのデジタル画像を入手したので(銀塩写真はあるのだが、スキャンするのが面倒くさい、っていうレベルのネタ・・・。)比較してみた。

Debo
三菱デボネア エグゼクティブSE(おおーっ!懐かしいグレード名なんて思う方はそれ相応のおトシかな、と。)

Gifu_mp
三菱ふそうB35ボディ(岐阜バスのMP)。
いわゆる「ブルドック」で、このライトベゼルはこれより前のボディ、おでこが丸かった頃から付いている歴史あるもの。 デボネアもある意味歴史あるクルマだが。

結果、上部がヒサシのようになっているデザインそのものは同じなのだが、大きさが違うみたい。バスのほうがライト周辺に余裕がある。

いや~、長年の疑問は解決したが、両方とも三菱だけに同じ人がデザインしたのだろうか。他メーカーのバスでこのような形のベゼルは無いだけに。

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CU-71Sクーラーを試作する。

ダンナ製作の山陽5000系6連模型。クーラーをとりあえず京急600形用のもので代用したまま放置していたのだが、あまりにも形が違うので「どうしたものか」と思いつつ年月が経っている。今回は純正品に交換するためにペーパーで自作することにした。

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これが実物のCU-71S。(東二見駅)

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展開図はもう3年ほど前に用意していたのだが・・・。久々にクラフトロボ起動!

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真鍮線なども使って組み立てたもの。リベットは裏からキリで押し出した。後方は京急2000系用クーラーで、寸法や基本形状は同じだが、見ての通り細部のディティールが違う。実物は同じものなのだろうが、模型的には「キセ」のほうが重要なわけで・・・。本当はこの京急2000系用を使いたかったが1個しか入手できなかったので、レジンコピーしようと出してきて、眺めているうちに「やっぱり違うやん!」とペーパー自作に変更した次第・・・。

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こんな感じで、どうすか。

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サーフェイサーで下地を整える。網はホームセンターで入手したステンレス製。ファンはお得意のペーパークラフト式描画。背景を黒にして中心部を別途上から貼り付けて立体化する。

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こんな感じでファンが透けて見えればOK。写真では判りにくいが実際はもっとはっきりファンが見えて良い感じ。今回試作なので塗装前に実験したが、本工作では塗装後に網とファンを取り付けることになる。

こんな感じで、どうすか。

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ルーツ

ダンナ父死去により、何やかんや名義変更だの面倒くさい事務作業が山積しているのだが、まあ処理が進まず放置しているものが多数ある一方で、今まで実はよく分かっていなかったダンナのルーツに関する事項が判明したりする。以前も書いたようにダンナ父方のルーツは高知にあり、当然ダンナの姓は高知に多く四国ではありふれたもののために、おかみは神戸に来て初めてこの姓が「比較的少ないほうの部類」に入ることを知ったらしいが、ダンナ自身、高知とは言っても広い高知のどこから来たのか全然知らなかったのである。

が、今回事務作業の過程で登場した戸籍謄本により、生まれて初めて自分の先々々代(すなわち曽祖父)からの出生の秘密(?)が明らかになったのである。この意味は決して小さくない。これによると、曽祖父と現在の高知市若松町にあった現在のダンナ姓の女性との間に祖父は生まれた(嫡出子ではないらしい)。このとき曽祖父の姓は「Y」で、のちこの女性と結婚し廃絶しそうになった家(恐らく母親の実家)の姓を名乗り「M」となる。この際祖父は嫡出子となっている。「M」氏は高知市帯屋町にあったが、祖父は今度は自分の母親の家が廃絶しそうになったため、その姓を名乗ることになった。以前、父方祖母は「自分は士族だ」などと自慢していたらしいが、帯屋町は高知城の真下にあって現在は繁華街であり、当時でも都市部であったので確かに武士か商人であったことは間違いなかろう。これが現在のダンナ家へとつながるのだが、神戸で大工をしていたくらいだから高知で食べていくことができないほど没落したのだろうが・・・。
ただ、ダンナ父葬儀の際に、恥ずかしい話だが宗派が不明だったので聞き回ると「神道」だということが判明している。実際は葬儀社と相談して近所の真言宗から呼んできて仏教で済ませてしまったのであるが、元々の地である高知市若松町は海辺でもあり神道って「金毘羅さん」かも知れないな~、と思う。ルーツと言っても現在高知との関係は全く無く、おかみもダンナが高知の家系だと言っても曖昧な気分だったようだが、今回の資料発掘によりかなりはっきりとしたイメージが出来たようである。

ダンナ家、高知弁を使うわけではないが、そういえば正月の雑煮だけが「すましに丸餅」の高知式なのである。酒好きの遺伝子もどうやら残っているようだし。いごっそうの末裔であるからして。

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コッコ1号と高知市の中心、はりまや橋交差点。「M」氏のあった帯屋町はここから西へ徒歩5分程度の大丸付近。ダンナ姓の家は写真に写る土電に乗って知寄町3丁目下車、少し南下したところ。

次回、高知へ行った際にはひとつ調べてみるか、と思うダンナであった。

※6/5追記
高知の雑煮は角餅だそうで・・・。関西で入手容易な丸餅に変えていたみたい。

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