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月見山

神戸市西部有数の高級住宅地、月見山。「須磨海浜公園」「離宮道」など、芦屋や苦楽園口のような他者を阻むような高級感はないものの、それなりに”上品”なイメージを感じるところである。今回のネタは”上品”ではないのだが。

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山陽電車の月見山駅前。明治43年開業から数えて101年を経過する駅。クルマの自由を阻む狭い街路に連なる商店や上質な住宅地は、阪急宝塚線にも通じる、いかにも”私鉄沿線”を感じさせる雰囲気。山陽電車沿線には珍しい空気感が魅力。


以前からダンナ、気になっているのがこれ↓。上り線の駅西側にホームのような石積みの”何か”がある。現在はその上に民家が建っているが、ひょっとしてホームの痕跡・・・?

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実はかつて板宿~東須磨間で證誠神社の裏あたりにホームのようなものが残っていて、「大手駅」の跡だったと言われていた。月見山のこの石積みも、以前はここにホームがあった痕跡かも知れないが・・・。詳細ご存じの方はお知らせ願いたい。









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コメント

そうそう。中学生ぐらいの時に発見して気になってましたが、のちに入手した『山陽電気鉄道65年史』によりますと、開設当時は踏切道をはさんで東側に下りホーム、西側に上りホームがあった。昭和23年大型車両の使用に際し上りホームを東方に移設して上下対面のホームに改めた。とあります。それよりも須磨浦公園の引き上げ線先端付近から国道に向かって階段のようなものがありますが、旧須磨浦公園駅の痕跡でしょうか?

投稿: えびび | 2011年8月 1日 (月) 00時32分

月見山は確かに上り下りが踏み切りを挟んで
分かれて居ましたし、明石もそうでした。

須磨浦公園の西側引き揚げ線付近の石段跡は、旧
須磨浦公園駅跡です。

投稿: 830 | 2011年8月 1日 (月) 14時34分

>えびびさま
なるほど、昭和23年までのホームなんですね。とすると、ホームの上に民家が建っている状態なわけですが、まさか今でも山陽電車の土地なんでしょうか。不思議な光景です。

>830さま
現在でも嵐電あたりではありそうですね、上下に分かれたホームは。須磨浦公園の石段はまた見ておきます。探せばまだまだありそうですね~、この種の遺跡は・・・。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月 1日 (月) 21時56分

歌敷山駅のホーム跡は少しずつ形を変えているようです。
すぐ北側の模型屋さんに行っていた頃は、ホーム跡がよく残っていました・・・と言っても40年以上前の話なんですが。

月見山界隈、幼い頃の記憶が断片的によみがえる懐かしい街です。
見方によれば、阪急岡本駅あたりとも似ている?独断的ですがお許し下さい。
やはり、宝塚線沿線の方が近いでしょうか。
駅から旧西国街道に出て西側沿いの旧須磨警察署も洋館で味がありました。

投稿: アルプス銀水タクシー | 2011年8月 3日 (水) 04時35分

僕は「遊園地前」がそのむかし、踏み切り名とともに非常に気になっていました。
いまは高架化で跡形もなくなりましたが。

こうした痕跡を探すのも楽しいですな。

投稿: みささ | 2011年8月 3日 (水) 06時41分

>アルプス銀水タクシーさま
歌敷山のほうはあんまり分からないんです。元々仮設っぽい造作でしたし。月見山は確かに岡本とも相通じるのですが、あそこまでの賑やかさや高級さはなく、むしろ落ち着いた寂れ具合が良いような、とか。神戸線と比較するのもあんまりなので宝塚線と書いただけです・・・。

>遊園地前は実際に停留所がありまして、昔の地図には載っていたりします。遊園地にあった中崎公会堂は現存しますし、やや西ですが名残りのラヂオ塔も残存しています。踏切名に残ったのは何の意味があったのか、今から思うと不思議ですよね。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月 3日 (水) 19時55分

歌敷山駅は上りホームの踏切際姫路方に人一人入れるくらいの駅舎というよりは、踏切番舎というような大きさの建屋があって、下りは姫路方にホームのみ。
各ホームへは踏切側がスロープになっていて、下りは木造ホーム、上りは地形上隣地に続く法面をホームに整えた形・・・。
といった感じでしょうか。
よって、下りは全く構造物が残っていない訳ですね。
ホーム幅はかなり狭いです。

投稿: アルプス銀水タクシー | 2011年8月 5日 (金) 13時00分

須磨浦公園引き上げ線の階段、よく覚えています。「あの当時」ずっと気になっていましたが、さすがに探検するわけにもいかず…でした。

投稿: 播磨観光タクシー | 2011年8月 6日 (土) 01時25分

>アルプス銀水タクシーさま
写真で見たことがあります、歌敷山。現在では駅があったなどと想像もつきませんが、当時でも相当無理のある形状でしたからね~。

>播磨観光タクシーさま
須磨浦公園のような、周囲に何もない場所は痕跡も残りやすいのでしょうね。月見山みたいな住宅地に残るのは珍しいかも。都会は地下化・高架化・線増でこうした遺構は消えやすいと思います。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月 7日 (日) 07時16分

板宿駅も上下線別ホームで丸くて長い木製ベンチがありました。諏訪神社=権現さん(って呼んでました)裏には大手の駅もあった様です・・・オカン曰く、確かに大きな立木の囲いと有刺鉄線でかこわれてましたナしかも線路に沿って斜めのいかにもホームって感じで・・・ 

投稿: 菊畑 | 2011年8月16日 (火) 16時59分

>菊畑さま
本文にありますが、大手駅の表側は證誠(しょうせい)神社で、熊野系。これが「大手の権現さん」です。というか私の氏神さまですので・・・。諏訪神社ではないです。大手駅は取り壊される前に写真を撮っていますので、いずれまたご紹介します。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月16日 (火) 22時21分

いぶきダンナ 様

私は<菊畑地下道>の近くで生まれ育ちました。
なので、私にとっても産土の神は「證誠(しょうせい)神社」になると思います。
10代後半までの間に地区持ち回りだった秋祭りの神輿を数回担ぎました。夜、小学校下の児童公園で練習をしました。
恥ずかしながら、その時に着たハッピの名称を諏訪神社と大きく間違って記憶していました。
名称の間違い申し訳ない限りです・・・失礼しました。 大手駅の写真をお持ちとは 又のアップを楽しませてもらいます。
いらぬことでしゃしゃり出たご無礼お許し下さい。

投稿: 菊畑 | 2011年8月17日 (水) 09時52分

確かに地下化や高架化は都市計画が絡んでましたので旧線の痕跡は皆無と言っていいでしょうね。
そんな中、歴史を感じとれるものにホームがあります。開業時代の短いホームから3・4連6連へと時代によって造りが違っているのが見ていて楽しいです。

投稿: えびび | 2011年8月17日 (水) 17時31分

>菊畑さま
ということはご近所さんですね~。現在のニュータウンに移り住むと、こういう地元の古くからある伝統を感じなくなって、やや寂しいです。小学校下の児童公園は運動場として使われていましたよね。夏休みにラジオ体操をしたものです。朝に弱かったので皆勤など夢のまた夢でしたが・・・。菊畑さまは同窓だったのでしょうか・・・?

>えびびさま
歴史の長い鉄道はこうした痕跡があって面白いですよね。ホーム下をちょっと覗くと延長を繰り返した歴史を知ることができて、そこを走っていたであろう旧型車のことまで思いを馳せることも。鉄道の歴史は地域や文化の歴史でもありますもんね~。最近の私は鉄道だけでなく地域全体の歴史的経緯を調べたりすることのほうが楽しかったりします。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月17日 (水) 19時16分

いぶきダンナ様

私は年齢40代後半ですが、東須磨⇒飛松ですよ
ラジオ体操は妙法寺川公園でやってました眠かったすね
現在垂水区の住宅が増えてきている地区に住んでいますが、同じ様なことを感じます。
あの時分なら、ちょっと遅く実施する盆踊りや地蔵盆という夏休み終盤のイベントを楽しみにしていました。
今は子供会・自治会・世話人みたいなおっちゃん おばちゃん もいないのか そういった風情も薄れてますね
又、覗きます ありがとうございました。

投稿: 菊畑 | 2011年8月17日 (水) 21時17分

>菊畑さま
私は東須磨小卒業と同時に転居したので飛松中のほうには行っておりませんが、同窓ですね~。地蔵盆も楽しみでした。先日東須磨に行ってみると、私の地元のお地蔵さん、世話をする人がいなくなったとかで撤去され、近所の寺に移転した旨、立看板がありました。建物など街の風景が変わっていくのは仕方ありませんが・・・。

投稿: いぶきダンナ | 2011年8月21日 (日) 08時44分

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