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20年

いや、40歳を過ぎると考えることもある。人生も半ばを過ぎたと判断するのが良かろう。残りの人生のほうが少ないと想像したところでピンと来ないのだが。いや、そうではなくてバスの話。mixiに何気なく昔のバスの写真を載せたりしているのだが、

047f
神戸市交通局047 三菱ふそうK-MP107K 1980年式

例えばこの写真。高校時代、047が中間改装され局番レタリングが大きくなって出てきたので、キレイなうちにと撮ったものである。ダンナにとってはブルドック自体が新しいバスの部類であって、その認識が時代錯誤だということは十分承知しているのだが、かと言ってなかなか消えるものではない。

しかし、思う。この047が廃車されたのが恐らく1991年頃であって、それからすでに20年が経つということである。例えば、ダンナがバス撮影を始めた1984年頃、古いバスに関心があっても1964年に廃車になったようなバスは認識の外、すなわち神話時代のバスであったということである。1964年に廃車になるということは、1953年式くらいなのだが。いや、確かに神話時代である。

神戸市の日野が600番台だった、などという大先輩の話を、もうすでに他人事のような、そんな気持ちで聞いている自分を思うと、このブルドックの話さえ、今のバスファンの方々にとっては何ら共感を起こすことのない遠い世界の話

なのかも知れない、というか、に違いない・・・。

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コメント

たしかに ごもっともでございます

認めたくないけど 事実であると確信しております・・

ブルドックなど都会で走っている新車であって 興味の範疇に全く入らないのはどうにもしようが無いのですが。

もうちょっと 神話時代のリアリティあるお話しが聴きたいのでですが 鬼籍に入りつつあるのでしょうね

投稿: OKMR | 2012年7月19日 (木) 22時15分

時代は川のごとく流れ、笹舟のように流れている、いや流されているものなのか。

先日、高校の同級生が急に亡くなり西神駅前の会館に参列したのですが、
偲ぶ会では旧友といろいろ語り合ったところです。

神戸交通振興が最初の路線として六甲ライナー開業までの1986年から開業までの
暫定輸送で「JR住吉駅~六甲アイランド」がありましたね。
旧市バスの車体帯に1本の線を加えて前サボもつけて60系統として運行。
だんなにも10年以上前に写真を見てもらったと、記憶します。

私がバス等を撮影したものに、山陽さんの高ケ平線(当時は系統番号は無し)
での社番・・20などがあります。

天王川を渡り五色山口の急坂を登る際のエンジンのワウワウという唸りと速度計
の針が0~10Km/Hをいったりきたりする様子は、今では味わえないものですね。
車掌から運転士へ停車のベル合図、車内通過の連絡放送や、運転士から車掌への
了解ベルのやり取りは、タイムスリップできるものならビデオに撮りたいものです。

舞子公園駅から峠経由のボンネットや、地道を車体を揺らし砂煙を上げながら走る
バス。奥畑まで50分に1本のバスが山村を行くのどかな風景。
昔の山陽電鉄バスも、記憶の中だけで残っています。


投稿: アルプス銀水タクシー | 2012年7月20日 (金) 13時12分

車掌から運転士へ停車のベル合図、車内通過の連絡放送や、運転士から車掌への 了解ベルのやり取りは>

まさにこれという昭和61年ごろのツーマン録音がありますが それがリアリティ有る運用録音のベストで 他のはお客が少なくて無音で走る路線バス・・ それが現実でした
うれしいコメントありがとうございました

投稿: OKMR | 2012年7月20日 (金) 22時48分

>OKMRさま
学生時代、ブルドックの廃車を見つけてもスルーしていたような。あの明快なサッシ窓や運転席窓上の着色ガラスに「新車」の匂いを今も感じています。20年前に登場したのではなく「姿を消した」という事実の重みを感じます。

山陽のツーマンバスは1997年まで走っていまして、実は通勤で使っていた時期もあります。他の路線にLV218Lの強力車が走っていたのにツーマン路線は最後まで非力なLV214Kが走っていました。BUの頃は乗ったことないです、残念ながら・・・。

またそれも15年以上前の出来事なんですね~。

投稿: いぶきダンナ | 2012年7月20日 (金) 23時06分

>アルプス銀水タクシーさま
そうですね。いろいろと貴重な写真を拝見させていただきました。私が知るより少し上の世代の車両が多かったですよね。その差はそのまま私とアルプスさまの年の差ということでしょうか。

奥畑へ向かったバスが帰ってこないと思ったら、乗務員が村祭りに呼ばれて飲んでいた、とか。1時間に8本以上が走る近郊路線の現在からは思いもよらぬのどかさですが、しかし現在失われてしまった古き良き時代のような気もするのです。確かに懐古趣味であることは否めませんが。

投稿: いぶきダンナ | 2012年7月20日 (金) 23時13分

私にとっても「あの頃の格好いい市バス達」ですね。そういえば中間改装って市バス、いつの間にか外観再塗装までしていないような気がしますが。
またMP118系列は近隣事業者は殆ど西工だったので、ブルドックは貴重?でしたね。あとは阪急バスくらい(呉羽バージョンだったと思いますが)しか思い出せません。

山陽バスの行先表示、その昔系統番号が無い頃も系統番号が記入?出来るように左端に白抜きの黒い輪郭で「□」表示だけありました。→「□朝霧駅前-神陵台」こんな感じですね。
また、遅くまでマーカーランプを採用していたので、特に夜間後部の放射状に放つ赤い光が印象的でした。あの何とも言えない複雑な車体塗装も魅力的でしたが、もう写真の中でしか見られないのが残念ですね。

投稿: 播磨観光タクシー | 2012年7月21日 (土) 08時57分

ご無沙汰しています。
懐かしい写真が出ていましたので・・・。
確かこのグループから三菱車の局番が3桁になったんですよね。初めて見たときはいすゞ車かと思いました。
日野車の600番台は初耳です。

投稿: ta-yan | 2012年7月21日 (土) 11時24分

>ta-yan様
>日野車の600番台は初耳です。

神話時代?の話になりますが、’64年以前の日野枠でした。この頃ナンバープレートの下3桁が局番で、そのナンバーも兵庫県の場合、バスやタクシーは事業者毎に番台や仮名が割り当てられたもので、現在のような登録順では無かったのです(勿論希望ナンバーもありませんでした)元々日野は’55年以降301~と300番台だったのですが、~399ときて400番台が当時ふそう枠だったために600~に飛ばして付番されました。
この後650まで来て翌’65年にナンバー体系が変わり日野は現在の流れのスタートとも言える701~となりました。
以上播磨がお伝えしました。

だんな様、でしゃばってすみません~。

投稿: 播磨観光タクシー | 2012年7月21日 (土) 15時42分

>播磨観光タクシーさま
「あの頃の恰好いい市バス達」あ~、良い表現ですね~。まさにそういう感覚です。ブルドックやRC381、CJM470、今から思えばさほど新しい感じではないのに、いや、新しく感じたということに意味があって、今の私たちがあるのかも知れませんね。

あ、そうそう。山陽バスのマーカーランプは狭い道で行き交う時に必要だったようです。下から上がってくるバスを識別するのに便利ですし。よく木の枝に当たって割ってましたけど・・・。

投稿: いぶきダンナ | 2012年7月21日 (土) 18時04分

>ta-yanさま
こちらこそご無沙汰してます!
そうです。このグループ044~047から前の「1」が取れました。播磨観光タクシーさまのおっしゃられるように「カッコ良かった」です。

日野車の局番の件は播磨さまにお任せします。私はここまで詳しくは書けませんので。

投稿: いぶきダンナ | 2012年7月21日 (土) 18時08分

マーカーランプ、なるほどそういう用途があったのですね。これは知りませんでした。ありがとうございます。

ふそうの「1」が取れた話、以前からふそう担当車庫では職員さんの呼称は昔の名残かずっと下3桁で呼んでいました。例えば1387なら387と言うように。その流れで3桁にしたのかもですね。

日野局番の話、'55年スタート時は301~ではなくて300~でした。いすゞだけ001~であとはX00~でした。失礼しました。

投稿: 播磨観光タクシー | 2012年7月21日 (土) 21時49分

>播磨観光タクシーさま
そういえば、この時代は0始番もアリなんですね。電車とは違うのかも知れませんが・・・。

投稿: いぶきダンナ | 2012年7月22日 (日) 08時27分

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