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復元天守と復興天守

城のある町に生まれ育った人にとって、天守閣とは町のシンボルでありランドマークである。神戸の人間にとって城とは「縁のないもの」だが、姫路の人間にとって姫路城は特別な存在だ。なにせ以前見た姫路の高校の卒業アルバムは、クラス写真の全ての背景が姫路城であった。それもクラス毎に違うアングル。「どこまで撮りに行ったのか」と思われるものもあり、城に対する非常に強い思い入れを感じたものである。

ダンナ、城郭建築が大好きなのだが、やはり江戸時代から天守が存続した十二城を巡ることへ主に関心を向けていたため、その他の城にあまり大きな関心が無かったのも事実、姫路城が日本一の城であると勝手に思い込んでいた。だが、本来日本一の城は「名古屋城じゃないのか?」という疑問が頭に浮かんできた。もっとも名古屋城は昭和20年、アメリカ軍の空襲で本丸御殿とともに焼失しており、現在の天守閣は1957年鉄筋コンクリート製である。もちろん外観は元のものを踏襲している。

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と言うわけでダンナ、現存十二ではないという理由で行っていなかった名古屋城へ初登城。

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空堀である。

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全体のスケール感は姫路城を上回る。石垣の大きさもかなりのもの。ここに天守と御殿が残っていれば世界遺産はこちらに持って行かれたように思う。想像に過ぎないが、名古屋市民にとって天守閣が焼け落ちた日が戦争の終わった日ではなかったか。

ということは。大阪城も久しく行っていなかった。

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こちらも鉄筋コンクリート。1931(昭和6)年、寄付により建てられた。第2次大戦で焼失し、戦後再建されたと思っている人も多いが、そうではない。また、形態は豊臣時代をイメージしたもので正確なものではないし、そもそもこの天守台は徳川時代のもの。豊臣秀吉が建てた大阪城を完全に破壊し、その上部に土を盛って築かれたものが残っている大阪城の遺構だからである。

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やはり大規模である。交通の要衝とは言え地方であった姫路城に比べ、大阪城もやはり格段に大きなスケールである。何かあったときの西国の守りとして大勢の兵力を入れておかなければならないのだから当然と言えば当然。

さて、表題。

名古屋城のように元の場所に元の形で復元すれば「復元天守」。鉄筋コンクリートで作ってしまえば「外観復元」とも言うらしい。これに対し大阪城のような場所と形が当時のままではないものを「復興天守」という。こんなところに歴史上天守は無い!というところに建てちゃった天守を「模擬天守」というし、場所も由来も全く意味不明な天守閣を「天守風建築物」というらしい。なかなか奥が深い世界だ。
(訪問日 名古屋城:3月8日 大阪城:3月15日)

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