久々の松江

松江に来るのは久しぶりである。前に所属していた部署の旅行で訪れたのも10年以上前。鉄道で島根入りするのは20年ぶりになる。

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「みずほ」初乗車。

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「やくも1号」381系は久々に乗る。評判の悪い乗り心地も懐かしい。乗り物に弱いコッコ2号は早々に寝てしまったが、起きていた1号は完全に酔ったらしい。さすが振り子電車、只者ではない。松江到着は9:40。

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まずはおかみリクエストの和菓子店「彩雲堂」へ。松江駅より西へ徒歩10分というところか。ここで買ったお菓子は後ほどご紹介する。

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「彩雲堂」を出て西へ歩くと、ほどなく宍道湖畔に出る。嫁が島が見える。にしても、恐らく宍道湖と聞いた10人が10人とも思い浮かぶであろうと思われる嫁が島。逆にこれが無いとどこか判らんという、有名な「日本の風景」ではある。

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その間、ダンナが何をしているかと言うと、走って来るバスを撮り続けているわけである。街歩きは交通費の節約とバス撮影を兼ねた非常に経済的な行為なのだ。これは一畑バスのキュービックLR。

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宍道湖に沿って北上すると、まあ、見えてはいたが結構歩いて松江城に着く。以前ここを歩いていて突然雪に降られ往生したこともあったが、というか、ここを歩くのも実は3度目なわけだが。さてさて、松江城。現存十二城の一つ。現存する天守では姫路城に次ぐ高さ。そして鯱は日本一大きいという。

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木造の内部と急な階段が現存城であることを物語る。

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今回乗りたかった遊覧船。これは以前には無かった。乗り場はあちこちにあるが、ダンナ、地ビール館に隣接する乗り場までわざわざやって来た。ちょうど昼。

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何のために列車で来ているかというと、そういうこと。昼間から飲む地ビールは旨い!

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リンゴのビール。アルコール度数9%とやや高め。ぷはぁ~。

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ほろ酔いのまま遊覧船に乗る。船にはコタツが。にしても船の数が多い。

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松江城の堀を巡る。視点が変われば風景も変わる。松江市内は20年前結構歩いた覚えがあるが、こういう景色は初めて。

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通りにくい水路は船の屋根を下げて対応。「通れないから通らない」ではなく、「何とかして通す」という発想が素晴らしい。正直、こういう考えが持てるか持てないかが物事の分かれ目であろうと思う。

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堀川を行く遊覧船。ここまで本格的な取り組みは初めて見た。残念ながら姫路、完敗です。

ここからダンナ一家、一畑電車に乗る。(以下続く)

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美濃一宮 南宮大社

畿内全一宮を回ってしまったダンナとおかみ。なかなか周辺と言っても遠くなり始めている今日この頃。但馬にも行きたいが雪が・・・。というわけで伊勢一宮か美濃一宮かと思案しつつ、今回は美濃へ。

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名神の伊吹PAで見つけた200系ハイエース。東急鯱バスを勝手に連想してしまったが、全体に白ばかりの営業車の世界で、きちんと塗っているのは珍しい。敦賀名産のかまぼこ屋さんらしいが・・・。

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伊吹山が綺麗に見えました。

関ヶ原インターで降りて国道21号を東上することしばし。途中「桃配山」を横目に。関ヶ原戦史には詳しくないが、さすがに家康が布陣した「桃配山」は分かる。「おお~っ!ここか。」と感慨にふけりつつ今日は寄らない。

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美濃一宮 南宮大社。主祭神は金山彦命で、全国の鉱山・金属業の総本山という。建造物は神社としては比較的古く、関ヶ原の戦いで焼失した後、徳川家光により再建されたもの。春日局が美濃出身であるため篤く崇敬されたらしい。崇神天皇の時代からあるというが、崇神は歴史学的に実在する天皇と考えられているので、創建年代としては確度が高いような気がする。

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御朱印。ダンナ&おかみの朱印帳も20年近く使用して最後のページが近くなり、どうもハンコが押しにくいらしい。この日もどうやら真ん中がうまく付かなかったらしく、謝っておられたが、構いませんよ。これもまた旅の思い出です。

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神社の門前にはそれなりに商店があるが、にしても、HOゲージのキットでも組み立てて並べたような、妙に「それらしい」”不自然さ”があるように感じるのは、なぜだろう・・・。

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あっさりと神社を出て来た一行。JR垂井駅で周辺に何か観光地が無いか探す。垂井は竹中半兵衛ゆかりの地で、銅像なんかもある。

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竹中家陣屋跡。陣屋というよりは小規模な城で、堀も作られている。現在は小学校の敷地となり、校門として利用されている。

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五明稲荷。竹中半兵衛が黒田官兵衛の嫡男長政(松寿丸)をかくまった地であるという。樹齢400年の銀杏はその長政が植えたというが、それはともかく同時代の木ではある。

垂井は宿場町としての風情が残る町並みもあり、まあ~、他とセットならいいけど、ここだけのために来るのはちょっと物足りんかな~、という感じか。

てなわけで、移動・・・。
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突然、名鉄美濃駅跡へ。とは言っても垂井からは遠すぎ。16:30の閉館時刻に間に合わず。ちょっと無茶だった。

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ここ、ダンナ2回目の訪問。1度目はまだ新関まで路線があった2003年6月のこと。その2年後に全線廃止となった。当時590や左端の旧札幌のは現役でいたはず。

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と、写真を探すと出て来た。もうあれから12年も経つのか~。は、早すぎる・・・。

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伏見稲荷大社から伏見の町へ(その2)

日が空くと忘れてしまいそうになるが、まあともかく。

伏見稲荷を後に、ダンナ一家、伏見の町へ出ることにする。京阪電車で中書島へ。それにしても京都市内の京阪車内は、ダンナ一家のような家族に優しい。席を譲ってくれた紳士、自分は中書島で降りるから、と席を譲ろうとした奥さん。「いや、僕らも中書島で降りるので。」と断ったが、残念ながら地元の鉄道では見られない光景である。

ダンナ的には街歩きしたかったが、コッコ1号の「電車撮りたい」希望があったのをダマして伏見稲荷に連れて行った手前、撮影に時間を割くしかない。この寒いのにホームに立ちんぼは正直辛い。おかみは完全防寒でベンチに座っている。

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にしても子供は寒さに強い。2200系はダンナも撮りたい。次は大和田にでも行くか。

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7000系だけれども後ろは6000系から編入された変形編成(のはず)。

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3000系もすっかり本線特急が板に付いたようで・・・。

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「月桂冠」の酒蔵が立ち並ぶ一角。伏見と言えばこんな風景かと。

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あまりにも有名な寺田屋。現在の建物は明治以降の再建である。

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「マッサン」ロケ地の一つ。住吉酒造として登場した松本酒造。風情ある建物群が魅力的。ドラマでは何となくのどかな雰囲気だったが、実際は幹線道路や高速道路が近くにあり、十分現代的な街中である。さすが、うまく撮るものである。

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時系列的にはもっと明るいうちに来て熱燗を一杯飲んだ黄桜カッパカントリー。日が暮れるとライトアップしていたので、また撮影。

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当然、宇治茶を売る店は多い。

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行きには気付かなかった古い銭湯「新地湯」。この名前からして旧遊郭エリアだと自称しているようなものだが、にしても「まんま」である。

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帰りも京阪。コッコ1号の流し撮り。もはやダンナには追い付けない技術を身に付けつつある。

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伏見稲荷大社から伏見の町へ(その1)

アニメ(ばっかり観てるような気がする。このトシになってアニオタというのもイタいが、子供をダシにしているとも言える。まあ、ともかく)「いなり、こんこん、恋いろは。」とかいう伏見稲荷がそのまんま出てくるのがある。ダンナ、京都にはたいがいよく行っているほうだが、なぜか伏見方面に足を伸ばしたことはなく、従ってかの伏見稲荷に行ったことが無かった。豊川稲荷には先日行ってしまったわけだが。

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伏見稲荷には京阪で行く手もあるが、神戸市民としてはTime is money、新快速で京都まで一直線。チケット屋で片道630円の昼トクきっぷを購入する。最近知ったのだがこの切符、1枚で子供2人が乗れるのである。JRは私鉄と異なり半額切符の場合端数切り捨てとなるので、このような処置が可能なのであろう。それはともかく。京都駅で奈良線に乗り換え。そうそう、ダンナの狙いはここで103系に乗ることであったりする。オリジナルの低運転台がまだまだ活躍する「聖地」でもある。

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稲荷駅で降車後、コッコ2号がトイレに行っている間にホーム撮影。103系、何気に珍しい存在になっている事実と、いや、まあ103系だし、みたいな気分が交錯する。にしても今撮っておかねば後悔するに違いない。

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稲荷駅って本当に駅の前が伏見稲荷だ。というか、鳥居の前に駅を作ったというのが正しい。この鳥居、明神鳥居系だが柱の上に輪っかが付いている。これが稲荷鳥居である。そりゃまあ、稲荷の総本山であるがゆえ、正しい稲荷鳥居があるのは当たり前である。にしても、若い人多いな。女の子も多い。外人も多い。賑わっているのは良いことだ。

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なんだ、この横断幕。”行って良かった”外国人に人気の観光スポット2014の第1位に輝いたらしい、伏見稲荷。で、こういうものを掲げてしまう。この大らかさが日本の神様らしい。

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手水には作法が図示されている。また柄杓に口を付けないよう英語での表記もある。ダンナ、アニメで稲荷神ウカミタマが女性に描かれているのを見て、おかみと一緒に「ウカミタマってオトコじゃなかったか?」、とエエ加減な記憶で話していたが、どうやら本当に女神だと考えられているらしい。もちろん、断じてキツネではない。(当たり前じゃ!)

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恐らく外国人が来て喜ぶのは、この無数の鳥居群ではないか、と。千本鳥居などというが、実際は1万本くらいあるらしい。またどのようなルールで更新されているのか知らんが、たいてい平成10年代後半からここ数年のものである。2時間くらいかければ稲荷山中を巡れるが、そんな時間は今ないので、適当に途中で引き返す。この罰当たり。

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もはや、多くののぼりと誘導看板を設置しないと「御朱印ガール」は捌けなくなったらしい。会館の屋上にまで「朱印授与所」と横断幕。ここまで徹底しているのは初めて見た。

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御朱印である。

御朱印をいただいたダンナ一家は伏見稲荷を後に伏見の町へ向かうため、京阪電車の伏見稲荷駅へ向かうことにする。

以下、続く。

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帝冠様式

名古屋。

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熱田神宮できしめんを食べて、名古屋城へ向かう。

名古屋に土地勘の全くないダンナ、名古屋城の最寄駅が分からない。「名城公園」かな、と思って伝馬町から名城線に乗っていたわけだが、それにしても「伝馬町」とは城下町らしいな~、と思いつつぼーっとしていたところ、「市役所」で「名古屋城はここで降りる」みたいなアナウンスで、慌てて飛び降りた。

地上に出て前方に名古屋城を発見したのは良かったが、後ろを振り返って見ると

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何やらへんてこりんな建物が。てっぺんは名古屋城をイメージしているのか?地下鉄入口にあった案内看板を見る。「市役所」ほえ~、これが名古屋市役所か。

いや、その奥にも変な建物があるぞ。

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真ん中に名古屋城の一部が埋め込まれたカタチだ。何なんだ、あれは。
というわけで、あれが愛知県庁だと知る。

案内板によると、双方とも「帝冠様式」の代表的建築物だという。て、ていかんようしき!初めて聞いた建築様式にダンナ+おかみ、動揺。

wikiによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%86%A0%E6%A7%98%E5%BC%8F

だそうな。愛知県庁に至ってはプラモデルまで発売されているらしい。う~ん、何とも評価しにくいが、名古屋市民はこの怪しげな風景を戦前から見て慣らされているというのか。それはそれで・・・。

と言いつつ、東京の九段会館(旧軍人会館)も同様式だというので、見に行きたくなるダンナ、なのであった・・・。

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復元天守と復興天守

城のある町に生まれ育った人にとって、天守閣とは町のシンボルでありランドマークである。神戸の人間にとって城とは「縁のないもの」だが、姫路の人間にとって姫路城は特別な存在だ。なにせ以前見た姫路の高校の卒業アルバムは、クラス写真の全ての背景が姫路城であった。それもクラス毎に違うアングル。「どこまで撮りに行ったのか」と思われるものもあり、城に対する非常に強い思い入れを感じたものである。

ダンナ、城郭建築が大好きなのだが、やはり江戸時代から天守が存続した十二城を巡ることへ主に関心を向けていたため、その他の城にあまり大きな関心が無かったのも事実、姫路城が日本一の城であると勝手に思い込んでいた。だが、本来日本一の城は「名古屋城じゃないのか?」という疑問が頭に浮かんできた。もっとも名古屋城は昭和20年、アメリカ軍の空襲で本丸御殿とともに焼失しており、現在の天守閣は1957年鉄筋コンクリート製である。もちろん外観は元のものを踏襲している。

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と言うわけでダンナ、現存十二ではないという理由で行っていなかった名古屋城へ初登城。

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空堀である。

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全体のスケール感は姫路城を上回る。石垣の大きさもかなりのもの。ここに天守と御殿が残っていれば世界遺産はこちらに持って行かれたように思う。想像に過ぎないが、名古屋市民にとって天守閣が焼け落ちた日が戦争の終わった日ではなかったか。

ということは。大阪城も久しく行っていなかった。

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こちらも鉄筋コンクリート。1931(昭和6)年、寄付により建てられた。第2次大戦で焼失し、戦後再建されたと思っている人も多いが、そうではない。また、形態は豊臣時代をイメージしたもので正確なものではないし、そもそもこの天守台は徳川時代のもの。豊臣秀吉が建てた大阪城を完全に破壊し、その上部に土を盛って築かれたものが残っている大阪城の遺構だからである。

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やはり大規模である。交通の要衝とは言え地方であった姫路城に比べ、大阪城もやはり格段に大きなスケールである。何かあったときの西国の守りとして大勢の兵力を入れておかなければならないのだから当然と言えば当然。

さて、表題。

名古屋城のように元の場所に元の形で復元すれば「復元天守」。鉄筋コンクリートで作ってしまえば「外観復元」とも言うらしい。これに対し大阪城のような場所と形が当時のままではないものを「復興天守」という。こんなところに歴史上天守は無い!というところに建てちゃった天守を「模擬天守」というし、場所も由来も全く意味不明な天守閣を「天守風建築物」というらしい。なかなか奥が深い世界だ。
(訪問日 名古屋城:3月8日 大阪城:3月15日)

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朝から温泉

道後温泉本館のすぐそばに泊まっているのである。もちろん朝から入りに行く。常識。

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もっと早く来たかったが、この時点で8時ちょうど。十分早いような気もするが。

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伊佐爾波神社の石段。このトシになるとキツいぞ。途中までは良いのだが、急に来るぞ、膝に・・・。オッサンだから仕方ないのだが。

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伊予鉄道の道後温泉駅。1日乗車券を入手。しかし、勿体ないくらい好天に恵まれた。こんな日に家にいなくて良かった良かった。

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路面電車で大街道に出て、とりあえず松山城に行く。現存十二城の一つ。とは言え松山空襲で天守閣以外のほとんどの建物は焼失している。よく天守が残ったものである。重要文化財。晴れていたのと非常に暖かかったので、多くの人出で賑わっていた。

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天守より市街地西方を望む。

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愛媛では水道をひねると蛇口から「ポンジュース」が出るらしい。

一旦松山市駅(通称市駅)に出る。しばし電車・バスを撮影。

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「坊ちゃん列車」第2編成。
完全なオフシーズンのため、第1編成は検査中なのか日曜日にも関わらず運休列車が目立つ。

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市駅で名物の人力転回。ターンテーブルが車両側に付いている。すごいアイデアだが必ず線路から外している点、大丈夫なのだろうか。軌道だから良いのだろうか・・・?

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客車も乗務員が押す。この一連の作業そのものが見せ場である。

運行開始以来10年以上が経つが、多くの観光客がカメラを向ける。松山市の名物として定着していることがよくわかる。

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車内も雰囲気十分。

蒸機に見えるが実際はDL。走り始めるとエンジン音と排気ガス臭が気になるが、都市部でSLを走らせるわけにもいかず、ある程度やむを得ない。どちらかと言うと乗るより撮るほうが良いように思う。それにしても夏目漱石の小説にちょこっと出てきたというだけで、この全国的知名度。冷静に考えても恐るべし。

道後温泉まで乗り、ダンナ+1号、おかみ+2号に分かれて、ダンナのほうは電車の撮影に出撃する。

日本有数の歴史を誇る伊予鉄道。関心のある方はクリックを。
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伊賀鉄道

昨年2度も訪れた伊賀の地だが、まさか今年も来るとは思わなかった。近鉄18400系を撮って、まあ満足というか「もうええやろ」な気分になり、伊賀神戸から伊賀鉄道に乗る。T氏オススメは猪田道というところだそうな。

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こんな所。

車両は現在元東急1000系に統一されている。まさか車齢10年そこそこのVVVF車が元近鉄支線に売り飛ばされてくるとは、思いもしなかったのだが。路盤が悪いのか乗っているとローカル線そのものの揺れ方をする。

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電車を待っていると、同業者が現れた。近所のおっちゃんも声をかけてくる。のどかな秋の一日である。ちょっと良い雰囲気の鳥居と社叢をバックに、パチリ。まあ、こんなもんでしょう。

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せっかく背景に使わせていただいたのだが、一礼を忘れた。まったく無礼なダンナである。依名古(えなこ)神社。祭神は阿遅鋤高日子根(アジスキタカヒコネ)神らしいぞ。鴨氏の神だと言うぞ。

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すぐ近所に火の見櫓があった。T氏、早速撮影。あれ、火の見も撮っているのか。時折、細くて優美な曲線で構成された惚れ惚れするような火の見をみることもあるが・・・。ダンナもそういうの撮っていたりする。

そう言えば昨年、近所の伊賀上野市内で見かけた火の見。

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街中に建っているのを見付けた。広告が付いているのが面白い。(撮影:2012.4.1)

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猪田道駅前に建っていた農業倉庫。蔵のようなデザイン。鉄道模型のストラクチャーのようだ。

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夜の高岡

高岡。夕食後、酔い醒ましに夜の街へ出た。

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高岡は戦災を受けなかったため、古い木造建築物が数多く残る。山町筋(やまちょうすじ)は明治33年の大火からの復興の際、土蔵造りが義務付けられたという。近年は電柱を地下化したり建造物の復元あるいは復古調デザインへの変更が行われ、レトロな雰囲気を醸し出している。まあ今井町のような感じか。逆に生活感が失われダンナ的には少々興ざめではある。

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昨年も見に行った富山銀行の建物。

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普通に戦前の看板建築が建っている。金沢のようでもある。

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右から書いてあるぞ~。

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高岡大仏。日本三大仏の一つという。銅器で有名な高岡の技術の粋を集めたもの。ライトアップされていた。

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今回の宿は駅前の真新しいビジネスホテル。セミダブル1室素泊まり7,000円也。2人で泊まれば1名3,500円と格安。この辺に来た時はまた泊まろう。

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富山で

旅行2日目、富山。

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稲荷町から市内中央部にぷらぷら歩いていて見つけた建物。富山第一銀行本店。昭和26年築。富山は空襲を受けており見るべき建物はあまり無さそうではあるが・・・。

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富山城。そもそも天守は無かったということで、これは分類上「模擬天守」である。鉄筋コンクリート製。昭和29年築。

まあ、ともかく富山市中心部を後にして目的の岩瀬浜へ。

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岩瀬浜の街並み。空襲を受けずかつての雰囲気を残す。

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森家。北前船廻船問屋として巨万の富を築いた。贅を尽くした屋敷を残す。議論はあろうが空襲を受けずに残った貴重な遺構である。

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来賓を招く部屋の天井板。自然の木目だが龍に見えるとか見えないとか。

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ガラスは手作りのため向こうが歪んで見える。角に柱が無い設計だが雪の重みに耐えるとのこと。

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北陸地方と言えば「天神さま」である。

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片喰の家紋。ダンナの家は剣片喰である。

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