赤い明石市バス

明石市バスが以前「赤かった」のを当たり前のように思っていたのだが、昔撮った写真を見ていると、恥ずかしながら何とも言えない違和感のようなものを覚えてしまうのである。

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明石市交通部2144 三菱ふそうK-MP118M(西工) 1981年式

これは多分震災前に「明石市バスが青くなった」のを撮りに、播磨観光タクシーさまやら大勢で出掛けたときのものだと記憶する。20年くらい前の写真である。

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明石市交通部2424 いすゞK-CJM520(川崎) 1982年式

こういった懐かしいモノコック車は赤塗装がしっくりくるのは当然だが、

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明石市交通部4847 三菱ふそうU-MP218K(西工) 1991年式

みたいな、何となく元々「赤い」イメージだったんだけれども、いつの間にやら青くなっていて青いイメージの染み付いてしまったクルマは、自分でも衝撃を受けるほど「赤」に違和感というか、妙な新鮮さを感じてしまったのだ。いや、今日写真を見ていて。

うん、こうすればお分かりいただけよう。

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この写真を見ると、「赤」だと思えるのだが、

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この写真は、「青」のようにも思うという(実際は赤だが)、そんなお話。ちょっとコントラストが青にしてはきついかな、とか。

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明石市交通部3609 日産ディーゼルP‐U32K(西工) 1986年式

当時、車庫に1両だけいた塗り替えまもない青い個体。何とも新鮮だった記憶がある。周囲に写る赤い市バスがそれを物語る。

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常識

一昔前、と言うかつい最近まで

山陽バスって

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こんなんやったよね~、と。その昔(要するに黄色くなる前)もこんな感じでBUが並んでいたっていう感じ。それが「常識」だったのである。

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それが、こんなになっちゃうとはね~。それにしても西工、このカラーリング似合いすぎ。エアロスターはバンパーの滑り止めがちょっと「目の下にクマ」って感じかな。三菱も西工も窓上の黄色部分がもっと多いほうがバランスが良いとは思うが。

いや、そんな話ではなく、これが2012年の「現実」なのだ。

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金魚鉢

尼崎市消防局にY30がいることを知ったダンナ、撮影のため出動。

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ダンナのクルマほど古い個体ではないがY30自体が貴重な存在の現在、とりあえず記録しておくことが必要な作業である。

実はこの1台のために尼崎まで行ったのだが、ついでにふと入った小道で。

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ご存じ金魚鉢こと阪神国道線71形、こちら水明公園に保存の71号。色褪せてはいるが台車・床下機器も残り、保存状態は良いというべきだろう。各部に見える曲線が、同じ昭和初期の建築物にも通じる優雅なセンスを感じる。戦前における工業デザインのひとつの頂点を極めた傑作と言える。

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水明公園よりやや東、蓬川公園に鎮座する74号。保存状態は71号と似たり寄ったり。あと79号が某所にあるらしく、国道線の保存車はこの3両のみである。

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71号・74号ともに同じプレートが広告枠に収められていた。

産業遺産としては建築物ほど価値を認められていないが、昭和10年代前半の鉄道車両にはこのようなデザイン的に貴重なものがあり、集会所としてではなく鉄道車両としての保存措置を講じる必要があるのではないだろうか。

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姫路市営モノレール

姫路の手柄山中央公園に「手柄山交流ステーション」と称し、市営モノレール車両を駅ごと展示する施設が完成したので行ってみた。開業3日目、ダンナとしては非常に早く駆け付けたほうである。

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当時のホームに停車状態で保存されたモノレール車両。営業休止した1974年から、2009年に一時公開されるまで実に35年、こうやって整備されるまで37年の月日が流れている。ダンナ現役時代を見ることはなかったが、以前からモノレール廃線跡を見ていただけに特別な感慨を持ってこの光景を見た。

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車内。ちなみにモノレール車両は4両あり、今回こうやって日の目を見たのは両運転台の200形201、202号車である。片運転台の100形101、102号車は解体され部品展示とされているが、30年以上も人知れず残っていたのだから解体は惜しかったと思う。まあ2両展示は妥当な線だが、マニア的には100形、200形各1両ずつ残すべきだったかな、と。解体してしまったのでは片運車100形の連結面が判らんようになるではないか、と。模型製作者の視点ではあるが。

残念だったのはグッズ販売員。どこかのマニアがバイトでやっているのだろうが、客すなわちダンナが前に立っても「レイルマガジン」誌から目を離さず、もちろん挨拶もしない。おいおい。オレが「いぶき工房」のダンナだと知っての狼藉か?成敗してくれるわ。

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モノレールだけでなく、先日廃業した市営バスの写真も展示されている。

資料展示を見ていると、某社の某氏に偶然会う。だいぶアルコール臭い状態で「日生から来た」と言うのだが、まさかクルマとちゃうやろな。お連れの方が運転しとるんやろな。

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ホームには当時のままのこんな電照広告も・・・。

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現在も大部分が残り、ある種”姫路名物”と化しているモノレール線路。ダンナ子供の頃は姫路駅部分もあったし、大部分というより「全部」残っていたものだが。

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スタンプラリーに参加したために、名古山霊園に来ることに。告白するが手柄山中央公園に来たのは今日が生まれて初めてである。名古山も然り。

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せっかく来たので仏舎利塔内部へ。中央にあるのが仏舎利だとか。いや、ホンモノだという。大体、世間の三重とか五重塔はそもそも仏舎利が納められているはず、というか、そのための建築物なのだが、まあ、それはともかく、ここのはホンモノらしい。

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改良

いよいよ組立中の大川バス日野RC320P。基本的に前に作った小豆島バスの塗替え版なのだが、その後判った部分やシマバスとは違う部分に手を加えたりして、レベル向上に努めている。

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今回新たに作ったテールランプ。ちょっと下向きで、内側がカーブしている感じがつかめればOK。実物はケースだけがこうなっていてレンズそのものはカーブしていないが、遠目には全体がこうなっているように見えるので、あえて表現してみた。

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テールランプ取り付け状態。小豆島バスに付いていたような2連丸レンズのタイプは、やや外側に向けて付けるのが正解だが、今回のはきちんと後ろ向きに揃えるのが良い。しかし、我ながらニヤニヤしてしまう出来だ。勢いでRVも作ってしまいそうだ。

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顔はふっくらパーツ取り付けでそれらしくなるわけだが、その後実車取材でベゼル両端に少し後退角が付いていることが判明、写真では分かりにくいがライト部分から外側に角度を設けた。その上でふっくらパーツにも切り込みを入れて角度を付けている。少しのことだが、ベゼル部分がやわらかな表情になり「似ている度」アップである。

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これが実物。この程度なので無視できる範疇ではあるが・・・。

ここまで来て、失敗した部分を一つ。

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本当はもっとヒサシ部分が前に出ているはずなのである。「おかしいな~」と調べると、RE101用の短いヒサシを使っていることが判った。RE100用の長いヒサシを使うつもりだったのだが、小豆島バス製作時から忘れていたらしい。この部分はシマバス共々修正して公開する予定。

次はRVか~!
いや、違うんですけれども、実は。

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大川自動車 三菱ふそうB806N

前回琴参と同じネガに写っていたのがこれ。

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大川自動車 香22か359「すいせん」 三菱ふそうB806N(三菱) 1976年式

ダンナが香川県に移住した当時、現役では県内に2両しか存在していなかった「ヒゲのB8」である。もう1両は僚車「か360」で、高松市内にある大手前高校に譲渡され白ナンバーのスクールバスとして使用されていた。ダンナ、この車両は結構撮っているのだが、この写真は記憶から抜けていた。恐らく誰かにあげてしまったのだろう。「ネガあるし」と焼き増ししなかったと思われる。

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と言いつつ、このリアからの写真は今も持っていたりする。この場面、どう考えても前から撮っていると思うのだが、写真そのものが無いと記憶も無くなるらしい。ちなみに最初このバスを見たときは「まだこんなんが走っとるんか」と感動したものだが、そのうち慣れてしまった。側面に切り抜き文字で「すいせん」と入っているが、文字中央に広告枠があり、初めて見たときは「す」と「ん」しか見えなかったため「すずらん」かと思っていた。

何度も言うようで恐縮だが、ダンナこの純正のほうが好みで呉羽はNGなのである。まあ子供の頃から神姫バスの純正ヒゲB8とか東名ベゼル(やったか?)B9とかを見慣れていたためでもあるが。そうそう、神姫のヒゲB8(わりと新車の頃)のネガも捜さねば。

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コルト1000

先日デボネアのヘッドライトベゼルのお話をしたのだが、inomanoさまより「コルト1100のテールレンズとバス(交通科学館にある富士のB9)のテールレンズが同じ」というご指摘をいただいた。「コルトのテールランプ、確かコルト800の後部が写った広告か何かがあったはず・・・」と捜していたところ、コルト1000の広告が発見された。前部写真だけなのでテールレンズ比較はできないのだが、これをバスネタをくっつけるのも強引なので、今回はコルトだけ。

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「週刊朝日」1965.4.30号裏表紙。

近所に三菱の社宅がたくさんあり、その駐車場は三菱一色だったので、コルトギャランなどもうあらゆるバリエーションがあったものだが、このコルト1000はダンナ気付くのが遅かったのか三菱社宅駐車場で見た記憶はない。全然見たことがないのかというと、そうではなくて、自宅より少し西に行ったところにあったクリーニング店が持っていて、ダンナにとって「コルト1000」とはそこのクルマのことだった。

もう1枚。

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「週刊朝日」1965.10.22号裏表紙

写真は違うが、ここで紹介しておかないと次に出す機会がないと思われるので。
ちなみに「コルト」は現在も存在するが、どちらかというと現在のコルトはイメージ的に「ミラージュ」なのかな~と思ったり。でも海外ではずっと「コルト」名だったとか。ダンナは「ギャラン」の先祖(コルトギャラン)につながるものと思っていたが、本当はコロナとコロナマークⅡみたいなもので、関係はないらしい。コルト→コルトギャラン→ギャランと解釈するのか、コルト(一旦消滅)→ミラージュ(海外名コルト)→コルト(現在の)と解釈するのか、議論が待たれる(?)。

さてさて、この「週刊朝日」裏表紙。その裏面はどうなっているのか、という疑問。

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こちらはサンヨーステレオの広告でした。

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現役時代

この4月2日付「あそこも、ここも・・・」で掲載した小野市のMSフルデッカーⅠ型の廃車体。同車の現役時代を播磨観光タクシーさまが撮影しておられたのでご紹介する。

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廃車体と同カラーのため現役最終時の姿と分かる1枚。緑ナンバーで特定用途である。いわゆるバス会社の所有ではない。

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これは塗り替え前。播磨観光タクシーさまによると、営業登録する前は白ナンバーの自家用登録であったという。最初の所有者の社章まで付いたままだったのでモザイクをかけているが、この塗装では分かる方には分かってしまう状態である。

現役車がたくさん走っていた時代に、こうやって記録しておくことの重要さを示す資料ではある。播磨観光タクシーさま、いつもありがとうございます。今後ともよろしく!?

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あそこも、ここも・・・。

鉄の高騰や老朽化などバス廃車体(廃バス)を取り巻く状況は非常に厳しいものがあるが、ダンナ近隣でも廃バス消失が続いている。こういった廃バスは日常普通に目にしているだけに「消える」ことを想定していないのだが、いざ「消えて」しまうと大きなショックを受けるものである。OKMRさま近所のコトデンバスしかりである。

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明石市交通部の西工カマボコ-日野RE。ゲートボール場にあり、最近まで存在を確認できたのだが、つい先日消えていることを確認。低い位置のテールランプは日野の証である。(兵庫県加古郡稲美町)

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最初の所有者はともかく、バスとしての最後はどこかの特定車であったらしい三菱ふそうのフルデッカーⅠ。これもゲートボール場にあって状態も良かったのだが、上の明石市バス消滅で胸騒ぎがしたため行ってみると消えていた。(兵庫県小野市)

確かにいつかは消える廃車体ではあるが、最近は新規物件がほとんど発見できなくなっているだけに、残存数が減っていくのみのような気がする。いや、きっとそうなのであろう。ゲートボール場には「廃バス」という風景が過去のものとなる日は、近いのかもしれない。

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定点撮影

先日「雨の日は電車三昧」での写真

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大阪市交通局 中央線20系 弁天町駅(再掲)

実はこの場所、ダンナ子供の頃から交通科学館(当時)に
しょっちゅう行っていて、定点撮影しているのである。

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弁天町駅。1977(昭和52)年ダンナ6歳。
車両は900形(旧6100形)。のちT車化。もちろん現存せず。

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弁天町駅。1974(昭和49)年ダンナ3歳。
白黒写真もさることながら、旧塗装の50系が泣かせる。

こののち、ここで写真を撮るのはコッコjrか?
どんな車両が活躍していることだろう。

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